東京フィルメックス プログラム・ディレクター
市山尚三
今年の1月20日から30日までイランの首都テヘランで開催された第24回ファジル国際映画祭で『バッシング』は準グランプリに相当する審査員特別賞を受賞した。約300本もの映画が上映されるこのイラン最大の映画祭に、筆者は国際コンペティション部門の審査員として参加した。審査員長は『ブリキの太鼓』でカンヌ映画祭パルム・ドールを受賞したドイツの巨匠フォルカー・シュレンドルフ。他の審査員はアイスランドを代表する映画作家フリドリク・フリドリクソン、イランと日本の共同製作映画『風の絨毯』を監督したカマル・タブリーズィーらで、総勢6人。コンペ対象作品17本にはカンヌ映画祭で監督賞を受賞した『隠された記憶』、ヴェネチア映画祭で2冠を獲得したジョージ・クルーニー監督作品『グッドナイト&グッドラック』、日本でも昨年公開された話題作『ヒトラー〜最後の12日間〜』など、錚々たる作品が並んでいる。
実を言うと、最初はこの強力なラインアップの中で『バッシング』が審査員たちにどう評価されるのか不安な点もあったが、審査委員会が始まるとそれは杞憂に終わった。全ての審査員が『バッシング』に高評価を与えたのである。しかも、その評価は題材やテーマ性というよりも、むしろ監督の演出、ストーリー構成、俳優の演技などに向けられていた。「映画を見てゆくにつれ、誰かが突然画面の外から現れてこのヒロインを攻撃するのではないか、という思いにとらわれ続けた」とシュレンドルフは筆者に語ったが、これは小林監督の演出力に対する最大級の賛辞であろう。社会問題を扱った映画が受賞した時、しばしば「あのような題材だったから評価された」などと言われることがあるが(そして、そういうこともあるとは思うが)、この『バッシング』の受賞については、明確に映画それ自体の力が評価されたと言える。
もっとも、審査委員会を離れた場で、筆者は何人かの審査員に対し「なぜこんなことが起こったのか?」という疑問に答えねばならなかった。興味深かったのは、シュレンドルフによると、昨年11月にやはりイラクで武装勢力の人質になったドイツ人女性が、解放された後に「またイラクに戻りたい」と語ったと報道され、マスコミによるバッシングが起こったという。ドイツでの状況は詳しくは知らないが、このような話を聞くと、この映画で描かれたような”バッシング”は日本だから起こったのではなく、世界のどこででも起こり得ることのように思える。その意味では、この映画を実際に起こった事件の再現というよりは、社会から疎外されるヒロインに絞って映画化した小林監督の判断は極めて正しかったと言えるのではないだろうか。
「バッシング」パンフレットより