BOOTLEG(海賊版)は、BOOTLEG(密造酒)である。
小林政広
20代の頃、ボブ・ディランのブートレグ(海賊盤)を、持っていた。1969年5月12日、ロンドンのロイヤルアルバートホールで開かれた、ザ・バンドとのセッションを収めたレコードだ。ちょうど、ディランが、フォークからロックに転向した時期で、ひどく音質の悪いそのレコードからは、ディランファンの動揺、戸惑い、失望があからさまに感じ取れた。また、ディランも、そんな、観客に、真っ向から対立、凄まじいほどの緊張感が、ステージと客席との間にみなぎっている。圧巻なのはラストだ。『やせっぽちのバラッド』が終わり、次の曲に入ろうとした時、客のひとりが、ディランに、「ユダ公!」と罵声を浴びせたのだ。しかし、ディランは、ひどく冷静に、その客に向かって、「おまえは嘘つきだ」と呟き、「おまえなんか信じるもんか」と、鋭く、続けた。ロビーロバートソン率いる、ザ・バンドの演奏が始まる。それは明らかに、『ライク・ア・ローリングストーン』だ。ディランが叫ぶように歌う!何度聞いても鳥肌が立つ瞬間だ。どれだけ音質が粗悪でも、僕ら、マニアは、このブートレグを、かけがえのない名盤として、愛聴した。あれから20年が経つ。時代は、変わった。数年前、『ボブ・ディラン/ブートレグシリーズ』と銘打った、三枚組のCDが、ソニーレコーズから発売された。大手メーカーが、海賊盤として出回っていたテイクを集め、発売したのだ。誰でも手に入れることの出来る、この”ブートレグシリーズ”の発売は、海賊盤の存在を、一般的に拡めはしたものの(その功績は認めるのだが)、そこに収められた楽曲は、かつて海賊盤で聴いたものと同じテイクながら、音質も良く、クリアで、あたかも、去勢された猫のように従順で、迫力に欠け、何ら面白みのないものだった。しかも、肝心の、ロイヤルアルバートホールのライブは、収録されてなかった。(後に、このロイヤルアルバートホールでの実況を収めた、公式海賊盤も発売されたのだが…。)いずれにしても、それらメジャー会社の作成した”ブートレグ・シリーズ”は、本来の意味での、海賊盤ではなかったということだ。去勢された猫が、野良猫のような迫力を持つ、かつてのブートレグと、肩を並べるなど所詮できない相談だったのだ。今回、僕が、『海賊版=BOOTLEG FILM』を製作したのは、映像世界の中で、この海賊版主義をなんとか貫けないかと思ったからだ。制作状況は、過酷を極めてはいるが、スタッフ・キャストのエネルギーが噴出し、技術的なグレードなどを議論する余地がないほどに、パワフルで野蛮な、ライブ映画だ。『CLOSING TIME』で、僕はようやく念願の監督デビューを果たした。初めて、映画を制作して、思い知ったことは、信じられないほどたくさんある。次にいつ、映画を作れるか判らないが、とにかく、このままじゃ駄目になると思った。デビュー作で、有り金をはたき、その資金の回収も出来てない状態で、それでも、僕は、何とか、霞を食ってでも、一切の仕事をストップして、とにかく、過去に見た映画を、もう一度見直してみようと思った。幸い、昔見た映画は、ほとんどが、ビデオになっている。レンタルビデオ屋にない場合は、セルビデオやレーザーディスクで見た。毎日、最低3本の映画を見た。映画に渇ききっていた僕は、真綿に水が染み入るように、それら映画を、どんどん吸収していったのだと思う。ある時、僕が感銘した映画には共通した思いがあることに気付いた。それは、あの、ディランの海賊版、ロイヤルアルバートホールのライブを聴いたときの、感動だ。違法行為には違いないにしても、ある個人が、テープレコーダーを隠し持って、ホールに入場し、監視の目をくぐりぬけてまで、このライブを記録したいと思ったその熱意。それは、きっと金にすると言う魂胆から発したものではないはずだ。ディランの熱狂的ファンのなせるわざに違いない。つまり、人の行為と言うのは、情熱の産物であり、それ以外の何ものでもありはしないのだ。それは、僕ら、インディーズの映画制作と、全くと言っていいほど共通している。そして、僕が感銘した過去の映画たちは、そんな、ひとりの情熱から始まっていると言うことを、痛感したのだ。僕は、すぐさま、第二作の映画制作に入った。シナリオを書き、キャスティングをし、スタッフを編成した。映画を作ることで何よりも大切なことは、二つある。主題に対して限りなく真摯でいることと、自己世界をキャストやスタッフに100%委ねるということだ。つまり、どう撮るかではなく、何を撮るかだけに、精神を集中することなのだ。シナリオ作成中から、思いは、過去の、今まで見てきた、心ときめいた名作群へと遡ってゆく。撮影現場でも、見ているのは、そんな過去の僕自身の感銘した映画たちだ。ポストプロダクションでも同様。あきらめずに、つめこめるものはどんどん詰め込んでいく。映画作りの楽しさは、映画の製作過程が長ければ長いほど、存分に味わうことができるに違いない。しかし、贅沢は言ってられない。少人数のスタッフで、短期間で作るほかはない。映画は一部の金持ちの贅沢品ではないのだ。そんな時代では決してない。今回の映画は、ルミエールから始まって、チャップリン、ジャン・ルノワール、オーソン・ウェルズ、ジョン・カサベテス、ヌーベルヴァーグの諸作家たちへと受け継がれていったプレーイングマネージャーシステムに敬意を表して作られた。表現することの自由をかちとるには、多くのエネルギーと、金と、肉親、友人たちを犠牲にしなければ成しえないと言うことだ。また、この映画のタイトル『海賊版』の響きは、そんな映画の持つやましさ、後ろめたさを存分にあらわしていると思う。いずれにしても、映画づくりは、至上の喜びだ。そして、その喜びを共有し、存分に味わう観客のあなたは、暗闇の中、共謀者となって、密造酒(ブートレグ)を味わう、その後ろめたさを引き受けなければならない。
プレスシートより 1999年
脚本・監督:小林政広
撮影監督:佐光 朗
照明:木村匡博
音響:福島音響
助監督:女池 充
制作:山本充宏
小松立夫:柄本 明
会田清司:椎名桔平
明子:高仁和絵
礼子:中野若葉
順子:舞華
洋二:北村一輝
北川文子:環季
男の死体:上野俊哉
撮影:1998年4月 北海道増毛町
公開:1999年12月