『CLOSING TIME』パンフレット

<A4版 全14頁 BW_color>
目次

1.製作ノート
2.彼はオートバイに乗ってやって来た/山田宏一
3.自由というのは、失うものがないこと/中川五郎
4.何だ、何なのだ、コイツは!、あるいは小林監督の妄想について/永瀧達治
5.オリジナルシナリオ抜粋再録
6.パトリス・ルコントからの手紙
7.ゆうばり国際冒険・ファンタスティック映画祭’97のこと
8.バイオ・フィルモグラフィ
9.コメント
10.あとがき

彼はオートバイに乗ってやって来た
山田宏一
(映画評論家)

彼はオートバイに乗ってやって来た。
喫茶店に入って話しをしたが、どんな話しをしたのか、全然おぼえていない。テーブルのわきに置かれたヘルメットが印象に残っているだけ。
たぶん彼は何もしゃべらなかったのだろう。だから私が一方的にしゃべったのではないかと思う。しかし、何をしゃべったのか、まったく思い出せない。映画についてのおしゃべりだったことだけは間違いないだろうけれども。
1981年の10月のことだった…ということも実は後に小林政広さんに再会したときにうかがったことである。彼は私に会いに来たその翌日にフランスに発ち、フランソワ・トリュフォー監督の新作『隣の女』はその年の9月にパリで公開されたばかりだった。トリュフォーの助監督になろうと思い立って渡仏したことなども、『CLOSING TIME』のパンフレットで小林政広さんの略歴を読んで初めて知ったことである。
そのころ、トリュフォーは、『隣の女』のパリ公開を見とどけてたあと、いつものように一息入れるためにアメリカに行っていたはずだから、パリでは当然ながらトリュフォーに会うことはできなかったのであろう。結局、志ならずして、10か月ばかり「ヨーロッパを放浪して帰国」したとのこと。この間にシンガーソングライター、林ヒロシ(『とりわけ10月の風が』)からシナリオライター、小林政広に転身。1982年、『名前のない黄色い猿たち』で第8回城戸賞を受賞した。その後、テレビドラマに「脚本・小林政広」の名をしばしば見かけるようになった。NHKやTBSのテレビドラマを15年間に500本以上も書いたそうである。たしかTBSの深夜連続ドラマだったと思うけれども、長塚京三が愛娘に抱く思いをいやらしいくらい絶妙に表現して忘れがたい『熱い胸さわぎ・第1章』(主役のヒロインは戸田菜穂)と『熱い胸さわぎ・第6章』(主役のヒロインはとよた真帆)をとくにおもしろく見た。それにまして傑作と思われたのは、サトウトシキ監督のピンク映画『痴漢電車人妻編 奥様は痴女』の題で映画化された『タンデム』(1994)である。この映画では小林政広さんがかつてシンガーソングライターの腕前も見せて挿入曲を作曲、作詞、自ら歌っていた。
1996年の6月ごろ、小林政広さんから一通の手紙が届いた。自主製作の長編映画をとったので、ぜひ見てほしいという。「16歳のときから映画監督を目指し、26年目にようやく作ることのできた」作品とのこと。「そのわりには、僕自身、不満の多いものですが、今自分が出来る精一杯の作品でもあります」と書かれていた。それが『CLOSING TIME』だったのである。
映画の冒頭の私への献辞を見て、これはやめたほうがいい、映画のために得になることはないだろうから、と私は率直に言ったが、「どんな事があっても第一作は贈りたい」とかたくなに言い張られた。そこで、私は、よし、贈られた以上、それならば私も映画のために身内になろうと決心したのである。映画に対しては、当然ながら、毀誉褒貶相乱れるだろうけれども、批判、攻撃、やっかみ、悪意、そして無関心の類はすべて私が「映画評論家」としてひきうけよう、と。それが、15年前にオートバイに乗って私のごときに会いに来たあまりにもナイーブすぎる映画青年、”遅れて来た青年”への私なりの挨拶であり援護射撃でもある。
いずれにせよ、作品を世に問うことは裁かれることを覚悟しなければならないということでもある。「創造という特権のすばらしさは」は「裁かれることを覚悟で自己をさらけだしてみせる人間の勇気」なのだとフランソワ・トリュフォーも言っているではないか。
「CLOSING TIME」パンフレットより 1997年